【3月6日】
村田菜穂美さんの5寸皿”こりすちゃんとバルーン"入荷しました。
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中島めんや 招き猫[2104390000058]
¥1,540
1862年初代清助は村芝居の小道具をつくっていました。特に踊り面の職人として知られ、屋号に「めんや」と名付けています。 明治初期の四代目は、上質の二俣和紙を手に入れるために、金沢市尾張町に移り店を構えました。この頃から、中島めんやは近代的加賀人形の基礎を築いたといわれています。 昭和の時代には、ひゃくまんさんの原型ともいわれる「加賀八幡起上り」が、金沢の郷土玩具として全国に広まりました。 現在は、七代目。手作りにこだわり、昔ながらの技法を生かしつつ、新商品づくりにも意欲的に取り組んでいます。 こちらは招き猫。首に小さな鈴がついています。3色揃って最高にゆるりと癒やされる表情。それぞれに個性があって迷います。どれもつぶらな瞳がとっても愛くるしい❗ 「右手」を上げている招き猫はオス猫で金運や幸運を上げ、「左手」を上げている招き猫はメス猫といわれており、商売繁盛や良縁など、人に関する福を呼び込んでくれるという言い習わしがあります。こちらの商品は、右手が黄色、左手が黒猫と白猫です。 【サイズ】 高14×幅8×奥6 cm
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中島めんや 張り子 虎[2104390000034]
¥1,760
1862年初代清助は村芝居の小道具をつくっていました。特に踊り面の職人として知られ、屋号に「めんや」と名付けています。 明治初期の四代目は、上質の二俣和紙を手に入れるために、金沢市尾張町に移り店を構えました。この頃から、中島めんやは近代的加賀人形の基礎を築いたといわれています。 昭和の時代には、ひゃくまんさんの原型ともいわれる「加賀八幡起上り」が、金沢の郷土玩具として全国に広まりました。 現在は、七代目。手作りにこだわり、昔ながらの技法を生かしつつ、新商品づくりにも意欲的に取り組んでいます。 加賀に古くから作られている珍しい虎の郷土玩具。お節句に飾られ、その勇敢な姿、様子から、悪魔を追い払い勇武を念じる縁起ものとされています。こちらの張子は、鮮やかな色と軽やかさと丸みを帯びている様子がとっても愛くるしく福を呼ぶ玩具としても愛されてきました。 指で首に触れると揺れる様子は、見ているだけでも楽しい。飾りとしても子供の玩具としても。 【サイズ】 高7×幅6×奥15cm
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中島めんや 猿の三番叟(さんばそう)[2104390000065]
¥1,760
1862年初代清助は村芝居の小道具をつくっていました。特に踊り面の職人として知られ、屋号に「めんや」と名付けています。 明治初期の四代目は、上質の二俣和紙を手に入れるために、金沢市尾張町に移り店を構えました。この頃から、中島めんやは近代的加賀人形の基礎を築いたといわれています。 昭和の時代には、ひゃくまんさんの原型ともいわれる「加賀八幡起上り」が、金沢の郷土玩具として全国に広まりました。 和紙を型に張り、一つ一つ貝殻を粉にした胡粉で下塗りをした後、絵付けをしカラフルに仕上げられています。 現在は、七代目。手作りにこだわり、昔ながらの技法を生かしつつ、新商品づくりにも意欲的に取り組んでいます。 こちらはお猿の三番叟(さんばそう)。三番叟は、能楽の祝狂言の中で舞う老人(悪魔を払うもの)を人形にしたものとか。五穀豊穣(ほうじょう)の神とも言われ、雰囲気は滑稽に描かれていてとってもチャーミング。胸にも「寿」と書かれていますが、「寿式三番叟」は能楽作品で、めでたい時やお正月に唄い舞われていました。 江戸時代には猿の背中に穴をあけ、その中に駄菓子を入れ桜の枝を持たせて、子供のおもちゃとして売られていたそうです。なんと季節感と風情のあることでしょう! 和紙を型に張り、貝殻を粉にした胡粉で下塗りをした後、絵付けをし、顔を書いて仕上げたものです。 【サイズ】 高13×幅7×奥6 cm
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中島めんや 獅子頭 No.125[2104390000157]
¥2,750
1862年初代清助は村芝居の小道具をつくっていました。特に踊り面の職人として知られ、屋号に「めんや」と名付けています。 明治初期の四代目は、上質の二俣和紙を手に入れるために、金沢市尾張町に移り店を構えました。この頃から、中島めんやは近代的加賀人形の基礎を築いたといわれています。 昭和の時代には、ひゃくまんさんの原型ともいわれる「加賀八幡起上り」が、金沢の郷土玩具として全国に広まりました。 現在は、七代目。手作りにこだわり、昔ながらの技法を生かしつつ、新商品づくりにも意欲的に取り組んでいます。 こちらは加賀獅子頭。 加賀獅子は天正11年藩祖前田利家公が金沢城に入場の際に、獅子舞を演じられたことが最初となり、代々藩主の奨励と町人文化の発展に影響を受けて豪華に発展していったということです。 それからというもの、祭礼など回れるようになり、加賀の祭礼文化となりました。 迫力のあるその姿は、当時の男児出産や還暦の魔よけ、厄払い、立身出世の象徴としても愛されるようになり、金箔が施された桐の一刀彫と加賀友禅の敷布は金沢工芸の集大成と言われるものになりました。 【サイズ】 高11×幅17×奥8 cm 【内容】 加賀獅子頭・敷布
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中島めんや 加賀獅子頭 本金箔使用 No.133[2104390000164]
¥14,300
1862年初代清助は村芝居の小道具をつくっていました。特に踊り面の職人として知られ、屋号に「めんや」と名付けています。 明治初期の四代目は、上質の二俣和紙を手に入れるために、金沢市尾張町に移り店を構えました。この頃から、中島めんやは近代的加賀人形の基礎を築いたといわれています。 昭和の時代には、ひゃくまんさんの原型ともいわれる「加賀八幡起上り」が、金沢の郷土玩具として全国に広まりました。 現在は、七代目。手作りにこだわり、昔ながらの技法を生かしつつ、新商品づくりにも意欲的に取り組んでいます。 こちらは加賀獅子頭. 加賀獅子は天正11年藩祖前田利家公が金沢城に入場の際に、獅子舞を演じられたことが最初となり、代々藩主の奨励と町人文化の発展に影響を受けて豪華に発展していったということです。 それからというもの、祭礼など回れるようになり、加賀の祭礼文化となりました。 迫力のあるその姿は、当時の男児出産や還暦の魔よけ、厄払い、立身出世の象徴としても愛されるようになり、金箔が施された桐の一刀彫と加賀友禅の敷布は金沢工芸の集大成と言われるものになりました。 【サイズ】 高14×幅20×奥13 cm 【内容】 加賀獅子頭・敷布
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中島めんや 張り子 いぬ[2104390000041]
¥1,980
SOLD OUT
1862年初代清助は村芝居の小道具をつくっていました。特に踊り面の職人として知られ、屋号に「めんや」と名付けています。 明治初期の四代目は、上質の二俣和紙を手に入れるために、金沢市尾張町に移り店を構えました。この頃から、中島めんやは近代的加賀人形の基礎を築いたといわれています。 昭和の時代には、ひゃくまんさんの原型ともいわれる「加賀八幡起上り」が、金沢の郷土玩具として全国に広まりました。 現在は、七代目。手作りにこだわり、昔ながらの技法を生かしつつ、新商品づくりにも意欲的に取り組んでいます。 こちらは指で首に触れると揺れる張子のいぬ。 平安時代から、犬は飼い主に忠誠を誓い、魔を取り除き、快活で成長力があり、お産も軽いと言われてきた動物。御所の清涼殿に狛犬の像を置いたのが始まりとされています。犬を美しく象徴したこちらの張子細工は、郷土玩具の中でも傑作とされています。他の張子よりは少し大ぶりで存在感も抜群。ユーモラスな表情と素朴さがかわいい。飾りとしても子供の玩具としても。 【サイズ】 高10×幅7×奥15 cm
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中島めんや 張り子 千両うし [2104390000010]
¥1,760
1862年初代清助は村芝居の小道具をつくっていました。特に踊り面の職人として知られ、屋号に「めんや」と名付けています。 明治初期の四代目は、上質の二俣和紙を手に入れるために、金沢市尾張町に移り店を構えました。この頃から、中島めんやは近代的加賀人形の基礎を築いたといわれています。 昭和の時代には、ひゃくまんさんの原型ともいわれる「加賀八幡起上り」が、金沢の郷土玩具として全国に広まりました。 現在は、七代目。手作りにこだわり、昔ながらの技法を生かしつつ、新商品づくりにも意欲的に取り組んでいます。 こちらは指で首に触れると揺れる張子のうし。背中には千両を担いでいます。鮮やかな色と軽やかさがとっても愛くるしい。飾りとしても子供の玩具としても。 【サイズ】 高7×幅6×奥12cm